オン・ザ・ロード 

 こんにちは。

 

 今日は朝9時ごろに起きて、そこから夕方までかけて200ページ程残っていた「オン・ザ・ロード」を読み切った。ジャック・ケルアック著。青山南訳。河出文庫

 

 

 そもそもなんでジャック・ケルアックを読んでいるか。この話は半年前に遡る。多分半年ぐらい前。今でこそ回数は減ったけれど、以前の僕はブックオフに行くのが好きだった。それこそ大学一回生の頃は気が狂ったようにブックオフに通い詰めていた。三条店、四条河原町OPA店、宝ヶ池店などに週一ぐらいで通っていたと思う。百円の文庫本コーナーを一時間近く睨んではあらすじだけ見て面白そうな本を片っ端から買っていっていた。それらの大半は未だ読めていない。そういうものだ。

 なので通販で本を買うようになった今でもブックオフを見かけるとどうしても入りたくなる。そんな持病を抱えているから帰省するたびに直近のブックオフに冷やかしにいっている。僕の地元は田舎だから品ぞろえも洗練されていない感じがしていて、例えば大江健三郎の「個人的な体験」がエッセイのコーナーにおいてあったりする。そんな店舗だけれども、ハードカバーの海外小説コーナーに気になる本を見つけたのが半年前。ジャック・ケルアックウィリアム・S・バロウズによる共著、「そしてカバたちはタンクで茹で死に」だった。タイトルでもう引き付けられた。二年前の僕なら迷わず買っていたはずだが、慎重さを獲得してしまった僕は帰ってその作品について調べることにした。そうしてジャック・ケルアックについて知り、彼の代表作が「オン・ザ・ロード」ということを知った訳だ。

 

 長い前置きになった。

 

 「オン・ザ・ロード」はビートジェネレーションの作品だ。作中では基本的に「くたびれた」という言葉に「ビート」というルビがふられている。(後半部分で、結構長めの形容詞節に「ビート」がふられていたはずだがどこに書いてあったのか失念してしまった。こういう時電子書籍なら検索が可能だから少し羨ましく思う。)全体的にくたびれたり打ちのめされたりしている描写が多いのだが、それと同じくらい多いのが音楽における「ビート」の描写だった。語り手であるサルと語られる男ディーンが行く先々で、音楽がある。それはバンドだったりラジオだったりジュークボックスだったりする。これらの描写が良かった。音楽が生み出す熱狂がひしひしと伝わる書き方だった。音楽のみならず、全編通して熱を感じる作品であったと思う。太陽の熱、車の熱、人々の熱、アルコールの熱。一定の熱とリズムをもって文章は続いていくので読むペースが落ちることは無かった。そんな中でとりわけ好みな描写をあげていく。

 

〈おまけに、ルーシルはぼくをわかろうとしなかった。ぼくは好きなことが多すぎて、いろんなことをごちゃまぜにしたまま、流れ星から流れ星へと走りまわったあげく落っこちるというのだ。でも、いまは夜だ、夜とはそういうものではないのか。ぼくがあげられるものは混乱した自分しかない。〉(p200)

 ディーンとのめちゃくちゃな日々を繰り返すうちに彼女であるルーシルとの関係が崩れ始めるシーン。脈絡はほとんど破綻していて、いかにも混乱しきった男の独白という感じだが、たまらなくいい。特に最後の一文。

 

 次に好きなのは275ページから始まって278ページまで続くサルの心情描写。3ページ分引用するのはさすがに疲れてしまうので割愛。ディーンとその女メリールウと共にサンフランシスコに乗り込んだのも束の間、二人に捨てられてしまって完全に打ちのめされるシーンだ。吸殻を拾って歩き回り、フッシュ&チップスの店の経営者が自分の母親のように感じられ、その母親にこれまでの愚行を罵られ、死の感覚に蹴りつけられ、生と死の仕組みに気づき、ひとり部屋で理想のサンフランシスコの幻影を見る…。この3ページを読んでいる時の感覚は素晴らしかった。高熱にうなされている時や、途方もなく気が滅入っている時の感覚と一緒だった。

 

 最後に紹介するのは第三部冒頭のシーン。仲間の故郷であるデンヴァ―にやってきたものの仲間は誰一人としておらず、孤独を感じるサルは虚無を語る。

ライラックの香りがする夜、筋肉という筋肉が痛いなか、デンヴァーの黒人地区であるウェルトン通りの二十七丁目あたりの明かりの中を歩いていると、黒人だったらいいのになぁ、という気持ちになってきて、白人の世界がくれるものは、どんなにベストなものでもエクスタシーが得られない、元気になれない、楽しくない、わくわくできない、闇がない、音楽がない、夜が足りない、と思えた。〉(p287)

〈でも、ぼくは結局ぼくなのだ。サル・パラダイス。この菫のような闇の中を、耐えられないくらい甘い夜のなかを淋しくふらふらさまよいながら、ハッピーでほんとうの心を持ったエクスタシーを知っているアメリカの黒人たちと世界を交換したいと願っている男。〉(p288)

デンヴァーまで来て、デンヴァーまで来て 僕は死んでばかりいた〉(p289)

 この作品は基本的に改行は少なく、見開き全体に文字がびっしり並んでいるのだが、三つ目の引用文は前後の行が空いていて、ページの中にぽっかりと浮かんでいた。これが僕の心をぶちのめした。

 僕自身の話をする。二年前幸運にも大学の入学試験をパスした僕は京都で一人暮らしを始めた。一年目は活気に溢れた新入生という感じであったが二年目に入るとその活気も枯渇し、段々と授業に出なくなっていってしまった。ひどいときには一週間に一日しか学校に行けないという有様だった。学校にいかず何をしていたかというと、ずっと自分には何があるのか考えていたのだった。周りの人間は自分よりも勉強ができているし何かしらの形で作品を生み出していた。それに比べて自分は本当に何もないように感じられ、それがストレスとなって大学に行くことを無意識的にも拒んでしまっていたのだった。僕は自室のベッドの上で死んでばかりいたのだった。そんな僕にジャック・ケルアックの一文が響かないわけがない。しばらくの間そのページをめくることはできなかった。

 

 

 「オン・ザ・ロード」は僕の心を揺さぶった。確実に。普段なら読んだ本の感想はツイッターに乗せる程度の僕にブログを書かせるくらいだ。こんな本に出会えたことを僕は嬉しく思う。今でも僕自身には何があるのか分からないままだけれども、こんな経験のおかげでなんとかやっていけている。この春からも本を読みながらなんとかやっていけたらと思っている。

 

 

 

 これを書きはじめたとき、タイトルを「オン・ザ・ロード 書評」としていたのだけれど、書評と呼ぶには程遠い、なんとも恥ずかしい駄文の連なりとなってしまったので書評の文字を消した。本について語ることがこれほど難しいとは思っていなかった。でもせっかく作ったブログだし、これからも拙いなりにも本について語ろうと思う。