なんとなく、クリスタル

 こんにちは。夏が近づいてきましたね。

 

 GWに帰省の電車の中で田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を読みました。新潮文庫

 

 

 1980年の文藝賞受賞作品であり、第84回芥川賞候補ともなった作品です。発行部数は百万部を超える大ヒット作です。ただそんなことはどうでもよろしい。僕が今回これを手に取った理由は、この作品が日本のポストモダンの草分け的存在とされているからです。

 

 前回レビューしたトマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』は衒学的、譫妄的な文章によりポストモダンとされていましたが、この『なんとなく、クリスタル』は小説形式からポストモダンとされています。内容自体は、モデル活動をしている大学生の主人公が恋愛やら友情やら将来やらについて考えるという、何の変哲もないものです。ただこの小説には異常なまでの注釈がつけられています。その数442。なので見開き右側の頁が小説、左側の頁が注釈となっています。何故ここまでの注釈があるのか。それはこの小説に膨大な量のブランド、レストラン、大学、地名などが現れるからでもありますがそれにとどまりません。比較的一般的でないものに対して注釈をつけるだけなら海外小説の翻訳と変わりありませんが、この小説の違うところは注釈それ自体にも筆者の言葉が使われているところです。分かりやすいようにいくつか引用してみます。

 

 物語はまず由利の部屋の描写から始まるのですがそこからすでに注釈が多用されています。

 

 「ベッドに寝たまま、手を伸ばして横のステレオをつけてみる。目覚めたばかりだから、(1)ターンテーブルにレコードを載せるのも、なんとなく億劫な気がしてしまう。

 それで、(2)FENに(3)プリセットしたチューナーのボタンを押してみる。なんと朝から、(4)ウィリー・ネルソンの(5)「ムーンライト・イン・バーモント」が流れている。

 部屋の端に置いてある、(6)ライティングデスクの方に、目をやってみる。(7)紫陽花の花が一本、花びんに差してある。(8)白金台のアンチーク・ショップで買ってきた、淡い色をしたライティング・デスクの上には、なぜか(9)オレンジ色のデジタル目覚ましが置いてある。…」

 

  これだけの文ですが九つの注釈がつけられています。そして左の頁には以下の注釈が書かれています。全部書くのはくどいし面倒くさいので三つ選びました。

 

 1〇ターンテーブル プレーヤーのうち、レコードを載せる部分。甲斐バンドやチューリップのドーナツ盤ばかり載せていると、プレーヤーが泣きます。

 4〇ウィリー・ネルソン テキサス州生まれのシンガー。従来のC&Wにはない要素を取り入れたカントリー・シンガー。

 9〇オレンジ色のデジタル目覚まし ブラックのデジタル目覚ましでは、あまりにハイ・テックすぎるのです。

 

 という風に四番のように用語の説明だけなされているものや、一番のように用語の説明と筆者の主観、はたまた九番のように主観のみの注釈など好き放題やっています。九番は小説本文の「なぜか」という言葉に対する答えともなっているんですね。このように小説と注釈を切り離すのではなく、注釈さえも小説の一部としてしまった作風がポストモダン的なわけです。余談ですが注釈を利用した小説を書く手法で言えばナボコフが有名らしいですね。『ロリータ』のイメージが強いので意外でした。今度読んでみようと思います。

 

 

 

 さて、僕自身の率直な感想を申し上げますが、この作品めちゃくちゃ面白かったです。1980年の作品なので今となっては死語となった言葉も多く、古臭さは否めませんが、それでも今なお変わらない心の機微の核心をつくような言葉が注釈にそっけなく書かれていたりしていて、なんとも言えず良い、という感じです。またタイトルにもあるクリスタルという言葉につけられた注釈がただ「crystal」と英語表記したものだけが書かれているというのもこれまたいいですね。筆者の解釈が与えられなくとも、読み進めれば「なんとなく、クリスタル」という世界観がしみじみと心に吸収されるいい作品です。あとがきもとても良いので文庫版をお勧めします。というか単行本はもう出回ってないか。

 

 読み終えてから知ったのですが筆者はこれを大学在籍中に書いたんだとか。こういうところで僕も何か大学在籍中に残さねばという無駄な焦りを感じてしまいますね。