6/18と6/19

  日記です。書評ではないです。読まなくてもいいです。

 

 

 村上春樹の短編集に『神の子どもたちはみな踊る』というものがあります。阪神淡路大震災を受けて書かれたもので六篇全て地震に触れる描写があります。読んだのが六年ほど前なので詳しくは覚えていませんが、直接的に地震を描写していることはなくて、どれも「少し前に大きな地震があった」程度の描写だったと思います。それでも毎編地震をほのめかされるわけなので、少ししつこいな、と感じたことを覚えています。別にその描写が無くても成り立つだろうにどうしてわざわざ書くのかと。

 

 その気持ちが少しわかったような気がします。

 

 昨日生まれて初めて震度四の揺れを経験しました。揺れている、と気づいた次に考えたのはこれが南海トラフ地震かどうかということでした。僕が下宿している京都でこの揺れならば十分あり得る話です。僕の実家は和歌山の最北部にある小さなベッドタウンです。海には隣接していないので津波の心配はありません。それでも南海トラフが発生すると大きな被害を受けるでしょう。なので小学校の時からいつ来るか分からない大地震の話を何度も聞かされていました。京都に来て二年がたっても、その刷り込みは強烈に作用し僕の精神を削り取っていきました。

 

 その日は大学の創立記念日で講義は元々無いため、サークルの友人たちと焼き肉に行く予定だったのですが、交通機関が死んでいるせいで人が集まるのか怪しいし、余震に怯えながら肉を焼くのも嫌なのでキャンセルし、ひとりで回鍋肉を作り、アマゾンプライムで『イエスマン』を見てから眠りにつきました。

 

 今朝は再び震度三の地震が発生し目が覚めました。ツイッターを見ると「揺れた」「余震だ」などの短い言葉でタイムラインがすぐさま流れていきます。そんな中にちらほら現れる「大学から連絡がない」という旨のツイート。昨日は創立記念日だし、連絡がないのも仕方がないのかなと思っていたのですが、一限開始時間が三十分後に迫っても何の連絡もありませんでした。大きな大学なので大阪から通っている子もいるわけで、それなのに連絡がないのはおかしい。それほど大きな余震も起きていないので平常通り講義はあるのでしょうが、講義があるという連絡すらないのはどういうことなのか。困惑は次第に怒りに変りましたが、一限に遅刻しそうだったので自転車を飛ばし気味に学校へ向かいました。講義は普通に始まっていて、数は少なかったものの学生たちはきちんと座ってノートをとっていました。みんな頭がおかしいと思うし、僕も僕で頭がおかしいんだと思います。

 

 講義はいつも通り何言っているか分からないのでツイッターを見ています。連絡を何一つしない大学に対する不満やら揶揄のツイートが時間がたつごとに増えていきます。僕もそのようなツイートをしました。普段僕と関わりのない人にリツイートされ、全然知らない人からのいいねが飛んできます。それでおしまい。大学当局に直接抗議することはしませんでした。そもそもどこに言いに行けばいいのか分からないし、分かったところで何を言いに行けばいいのか分からない。自分の嫌いな部分を再確認できました。

 

 

 二限目には「連絡があろうがなかろうが講義が休みになるはずはない」という友人のツイートが流れてきました。斜に構えたくなる気持ちもわかるけど、今回ばかりは違うだろ、と思ってすこし気分が悪くなりました。二限が終わって食堂に向かうときには「関西人って地震に対して弱すぎじゃない?」という声が聞こえてきました。どうやら東北の震災を経験している子のようです。「地震で眠れないっていうかレポートのせいで眠れんかったわ(笑)」と。さらに気分が悪くなりました。三限からは実験です。実験室は八階にあり、エレベーターを使うのは気が引けましたが階段で八階まで上がるのも億劫なので怯えながら使用しました。ただ実験をしているとどんどん現実味が薄れてきて、実験が終わって帰るときには何の逡巡もなくエレベーターのボタンを押していました。

 

 

 疲れ果てて、下宿で一時間の仮眠をとったらすぐさまバイト。塾講師をしています。塾の自動ドアをくぐるなり塾長に「大丈夫でしたか」と聞かれました。それが何の意味か一瞬分からなかった自分にとても驚き、悲しくなりました。バイトが終わると自炊する気力も湧かないのでラーメン店に一人で入りました。ここで余震が来たら嫌だなとか考えながら食券を買って、席につきツイッターを開きます。昼に地震の話をしていたみんなはサッカーの話をしています。負けると思われていた日本が善戦しているためか、異様な盛り上がりです。サッカーに興味のない僕は何の感慨もなくただタイムラインを眺めていました。

 

 

 地震が起きて人が死んでも、すごい速さでその衝撃は薄れていきます。それがいいことなのか悪いことなのかは僕には分かりません。分かりませんが、その衝撃に大きく揺れ動いた心を抑え込んでおくよりも文字にした方がいいのではと思い今回の記事としました。

 

 ここまで読んでくれたあなたに感謝します。