テキスト9

 こんにちは。

 

 一か月ほど前に読んだ小野寺整『テキスト9』の感想です。

 

 

 「言語SFって何?」と学科の友達に聞かれたことがあった。あれは確か実験棟一階のロビーで、実験が始まる時間を待ちながら友達と他愛もない話をしていたのだった。それでなぜかは分からないけれど僕が言語SFというワードを口にしたんだと思う。その時に問われたわけだ。言語SFとは何か。

 

 その問いに対して僕は二つの驚きを感じた。

 彼は結構な偏屈者ではあるが僕とはまぁまぁ趣味が合う。そして僕を読書好きと言うならば彼は映画好きだ。彼の部屋にはそこそこ大きいスクリーンと不要なまでに低音の出る音響が備わっている。(そして部屋の遮光性が異様に高い)そこで映画を見たことが何回かあって、この前は大友克洋の『AKIRA』をみた。アニメーションの構図や光の描き方は勿論のこと、話の構成も漫画六巻分を綺麗にまとめていてとてもいい映画だった。アキラ自体をあの形で出すのはなかなか考えられているなと感じた。話がそれたけれど、彼はとにかく映画好きで、そして大抵のサブカル大学生がそうであるように、彼もまたSF好きである。SF文学についてもある程度の造詣がある。なので言語SFの話題も通じるだろうと思っていた。ところがそれは僕の思い違いで、言語SFという言葉はまだ市民権を獲得していないらしい。これが一つ目の驚き。

 二つ目の驚きは僕自身、言語SFについてほとんど知識を持ち合わせていないことだった。その問いを聞いた直後、僕の頭は結構な速度で回転したのだけれど、説明的文章を生み出すことは出来ず、何とかひねり出せたのは言語SFに分類される作品の名前だけだった。ほら、あれだよ、あの作品とかさ…あれとかが言語SFってジャンルだよ…という風に。その時あげたのがケン・リュウの『紙の動物園』とテッド・チャンの『あなたの人生の物語』だった。(僕はまだどちらも読めていない。読んでいない本の話をするのはとてつもない罪悪感と羞恥心を伴うことが分かった)正直な話、その二つのほかにぱっと思いつくのも円城塔神林長平ぐらいだ。僕は言語SFに興味をしめしながらそれ自体についてはほとんど何も知らない。

 

 

 そんな僕が読んだ小野寺整の『テキスト9』は言語SFだ。

 

 小野寺整は第一回ハヤカワSFコンテストの最終選考作『テキスト9』で2014年にデビュー。その後消息不明。という情報がほとんどない作家だ。噂では失踪したとかなんとか。本人のツイッターアカウントもあるにはあるが、本作の宣伝をしたっきり沈黙している。でもまぁ小説界ではこんなのはよくある話で小野寺整の消息を気にしている人は少ない。そもそも小野寺整の話をしている人自体ほとんどいない。

 

 おおまかなストーリーラインとしては、惑星ユーンに仮定物理学者カレンのもとに企業連合の中枢機関「ムスビメ議会」から召喚状が届き、議会の本拠地がある地球に赴いたカレンは宇宙を脅かす超テクノロジーの設計図を盗んだ女の追跡を依頼される…というものだ。感情操作薬エンパシニックや囚人船ユーツナル号、金融を可視化したスタッシュなどSFらしいガジェットがてんこもりでいかにもサイエンス・フィクション…という感じなのだが、一番のメインテーマは謎の言葉トーラーの探索だ。小説自体は三章に分かれていて、冒頭は暗闇の中での複数人の会話から始まる。それを少し引用する。

 

〈「そもそも、すでに、我々の会話自体が翻訳後ときてる」

 「しかもその翻訳もあまりうまくいっていない」

 「あなたがたは何者だ?」

 「我々は、トーラーの翻訳版に登場する人物である」

 「トーラーとは何か。それを説明せよ」

 「はっ、トーラーとは説明することが不可能な概念じゃ」

 「だがあえてそれを翻訳するならば、考えうるすべての概念および考えることができない概念の総和である」〉

 

 ふむ。さっぱりだ。ちなみにこの後の会話は「我々の目的は何か?」という問いに対し「言うまでもない。トーラーの探索だ」という解答で終了する。そしてカレンのトーラーを巡る冒険が始まる。のだが上の引用からも推測されるようにこの物語自体がトーラーの翻訳という可能性がある。という風にこの物語では翻訳というのが大きなカギとなっている。ハイパートランスレート移動、転送された惑星タブに住むグリーンエイプが話す人工言語の翻訳、翻訳機能を阻害する物質Tなど。この物語は翻訳された物語でありながら翻訳された概念の本質に迫る話であると言える。何を言っているのか分からないでしょう。僕も何を言っているのか分からない。

 

 

 メタフィクション的でもあるし、そうとも言えなくもある複雑極まりないストーリーだが何とか二章の最後までは読める。ただ三章に入るとそれはもうすごいことになる。なにがどうすごいってさっぱり分からないことだ。俺がお前でお前が俺で実はお前はあいつでこの物語は俺が書いたもので質問を翻訳したのがこの物語で、というのが一番分かりやすいと思う。分かりにくくてもそれはそれで構わない。分かりにくければ分かりにくいほど説明としては分かりやすいと評価することのできる小説だ。僕は何を言ってるんだ?

 

 

 言語SFというのはその性質上読むことが困難だが、その困難さが面白いという困ったジャンルだ。『テキスト9』もさっぱりだったが文体がそこそこ軽いので読んでいて苦痛ではなかった。ただスタッシュの下りの浅さとかはちょっと気になってしまったな。まぁそんなことどうでもよくなるくらいめちゃくちゃにされるのでめちゃくちゃなものが好きな人にはオススメです。