Boy's Surface

 こんにちは。

 

 遂に円城塔について語るときが来てしまった。

 

 

 一日に記事を二つ書こうとしているのは、このブログを始めて以来初めてのことだ。記事を書くのは結構体力というか気力を必要とする。二時間近くもパソコンの画面を見つめながら文章をひねり出すのはなかなか骨が折れる作業だ。もっと速く書くことができればいいのだけれど、一向に上達の気配を見せない。困ったものだ。ではなぜ今日は二つも書こうとしているのか?それは読み終えたのに記事にできていない作品の数が二けたを越えたから。というのは建前で、ただただ三連休が終わってしまうことが嫌だからだ。こうして時間のかかる作業を始めて、一日の延長を試みている。明日になってこの決断を後悔するか否かは定かではないが、多分すると思う。僕はそういう人間だ。

 

 今日は朝から『漁港の肉子ちゃん』の記事を書き、自炊をして、ギターの耳コピを行い、スタジオ練習に行き、街を彷徨ったあげくマクドナルドで晩御飯にありついた。なので気力はほとんど残されていない。そんな時だが今回取り上げるのは円城塔の『Boy's Surface』だ。普段の気力があるときでさえ記事を書くのを敬遠しそうな内容なのだが、順番には逆らえない。

 

 今更説明するまでもないが、円城塔とは日本のSF作家で、東大の博士課程を修了しているという異色の経歴を持っている。また2007年には『オブ・ザ・ベースボール』で文學界新人賞を受賞していて、2012年には『道化師の蝶』で芥川賞もとっている。『共喰い』を書いた田中慎弥と同時受賞だ。彼の不機嫌な記者会見を覚えている人も多いのでは。

 

 昨年には『文字渦』で川端康成文学賞も受賞している円城塔だが、その作風は難解だ。これはマジ。本当に何言ってるのか分からない。『オブ・ザ・ベースボール』はまだ分かりやすい。これは一年に一度人が空から落ちてくる町の話だ。ペダンティックな要素もあるが、語り手である主人公が賢くない設定なので安心して読むことができる。『道化師の蝶』と『松ノ枝の記』もメタメタのメタ構造で難解だが読めないことはない。『バナナ剥きには最適の日々』や『Self-Reference ENGINE』はかなり怪しい。これらはどちらも短編集だが明確に話を覚えているものが少ない。(後者は厳密には短編集ではない。が、そんなことはどうでもいいだろう)『プロローグ』『エピローグ』はもうだめだ。人類には早すぎる。でもツイッターでの評価などを探っている限りでは理解できている人が一定数いるらしい。恐らく虚言癖がある人なのか、博士課程以上の人なのだろう。

 

 『Boy's Surface』は『Self-Reference ENGINE』と『プロローグ』の間くらいの難解さだった。つまりほとんど分からなかった。これは僕の個人的な意見だが、円城塔の悪い癖として話をプログラミング的というか数学的に構成するところがある。実際に本人のツイッターをみているとプログラムを利用して小説を書いていたりする。これがどうしても受け付けない。四つの短編が含まれる『Boy's Surface』でも各短編のタイトルページに謎の図形と数字が描かれたものがプリントされている。これは小説を読むにあたってのヒントなのだろうがそのヒントも役に立たないほどに内容が難解だ。無次元レフラー空間やら代替数学やら、勘弁してほしい。こっちは大学の数学でさえできなくて苦しんでいるというのに!

 

 上では四つの短編と記したが、文庫版には五つ目が存在している。円城塔自身による解説だ。だがこれももちろんただの解説ではない。解説という体をなした短編小説だ。こういうことをしてくるので本当に油断ならない。しかしこの五つ目を読むことで前の四つの理解度が少し上がったような気がする。少しではあるが。

 

 

 分からないと言いながら、なぜ円城塔を読むのか?それは僕には分からない。最近文庫化された『シャッフル航法』もそのうち買うことになるのだろう。そして分からないと嘆くのだろう。僕はそういう人間だ。