リンカーンとさまよえる霊魂たち

 こんにちは。

 

 前回「Boy's surface」の感想を書いたのがおよそ二か月前らしい。どうしてこんなにも間が空いてしまったかというと、かなりハードな実験と学園祭が重なったからだ。明らかに僕のキャパシティを超えた日々だったが何とか乗り越えられた。自分が壊れてしまうことを期待していたので少し残念ではあるが、まぁ素直に喜ぶべきことだと思う。

 

 

 そんな訳で自分へのご褒美として、めったに買わない新品の単行本を買った。それが今回の「リンカーンとさまよえる霊魂たち」だ。ジョージ・ソーンダーズ著。この文章を読んでいる人でジョージ・ソーンダーズを知らない人がいるかもしれないが、安心してほしい。僕だって知らない。ではなぜこの本を手に取ったか?ひとえに表紙に惹かれたのだ。オカタオカというイラストレーターによって癖のある登場人物たちが癖のあるタッチで描かれている。僕はこの絵を小さいとき、それこそ保育所か小学校低学年の時代に見たことがある気がしている。でもオカタオカ自身はそんなに昔から活動を行っているというわけでもなさそうだ。そんな奇妙な違和感をまとったこの小説は中身もまた奇妙なものだった。

 

 第16代アメリカ合衆国大統領であるエイブラハム・リンカーン南北戦争中、三男であるウィリー・リンカーンを病によって失くしている。ウィリーを愛していたエイブラハム・リンカーンは遺体が安置された納骨所において長い時間を過ごしたと言われている。この小説はそんな事実に基づいた歴史小説とされているが、実際のところ、これは実験小説だと僕は考えている。

 

 この小説を実験的にしているのは何といってもその構成だ。まず地の文が存在しない。ではどのように話が進むのかというとすべてが引用という形で描写されていく。幽霊たちのセリフ、当時の報告書、日記、手紙等々。…貧弱な僕の言葉では説明が困難だ!なので参考として下にウィリーを回想するシーンを引用させていただく。

 

 《ウィリー・リンカーンは、私が知っているなかで最も愛すべき少年だった。賢くて分別があり、気立ては優しく、物腰は穏やかだった。 ジュリア・タフト・ベイン 『タッド・リンカーンの父』

  

  彼は、人々が子供を持つ前に、自分の子供はこうであってほしいと想像するような少年だった。 ランドル前掲書

 

  彼の落ち着きはーーフランス語ではアプロンというものだがーー並外れていた。 ウィリス前掲書

 

  彼の精神は活発で探求心に満ち、誠実でした。心根は優しく、愛情に満ちていました。親切で寛容な心を持ち、言葉と振る舞いは穏やかで、人を惹きつけるものがありました。 フィニアス・D・ガーリー「ウィリーリンカーンへの弔辞」 『イリノイ・ステート・ジャーナル』より  》

 

 

 引用もなんと困難なことだろうか!スマートフォンから見るとがたがたで大変見づらいと思うが、この小説の特殊さが分かっていただけただろうか。このようなスタイルで最初から最後まで物語は進んでいく。この構成の面白いところは同じ事柄を多重展開できるところだ。公式晩餐会における描写ではその特性をうまく利用している。パーティーが開かれた夜の月は11個の文献から引用されており、大きな満月だったというもの、三日月だったというもの、月などで出ておらず暗い夜だったというものなど、描写にはズレが生じている。更には豪華絢爛なパーティーを称賛する文献があれば、ウィリーの容体が悪いのにパーティーを開いたことに対して激しく非難する文献もある。そのようにこの小説はまさに無数の視点から語られる。

 

 無数の文献があるように、墓地にも無数の幽霊がいて、無数の独白により話は進む。彼らは生前の未練を反映した形をとっている。例えば、初夜を目前に無念の死を果たしたものは性器が異様に肥大していたり、この世の美を味わい尽くすことなく死んでしまったものは目や鼻が増殖していたりなどだ。この者たちは自分が死んでいることを認めず、たびたび訪れる「迎え」を拒み続けている。そんなかなり癖のある幽霊たちの中に突如仲間入りを果たしたウィリーだが、周りの幽霊たちからは不思議がられる。というのも子供の幽霊というのは基本的に墓地にとどまることは無いからだ。これは何かがおかしいぞ、と思った幽霊たちのところにリンカーン大統領があらわれ、話は加速していく。

 

 

 こうして自分なりにまとめながら再認識したのだが、なんて奇妙な小説だろう。それでいて情緒的だ。リンカーンがウィリーの死を悼むシーンなんて泣いてしまったほどだ。異形の幽霊たちそれぞれにも悲痛な過去があり、心が揺さぶられっぱなしだった。この感動を伝えるには帯に記されているトマス・ピンチョンの推薦文が最適だと思う。

 

《驚くほど調和のとれた声ーー優雅で、陰鬱で、本物で、可笑しな声ーーで語られるのは、我々がこの時代をくぐり抜けるのにまさに必要とする物語だ。 トマス・ピンチョン

 

 とにかく奇天烈だけれどそれに終わらない小説です。ぜひとも読んでみることをお勧めします。