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 最近よく歌を歌っている。耳コピできるような技量は持ち合わせていないので、ネットに落ちているコード譜を見ながらandymoriとかpillowsとかを歌っている。隣人から抗議を受けたことはないからちょっと大きめの声で。声域が狭いから声がひっくり返っちゃう時もよくあって、誰に聞かれているというわけでもないが恥ずかしくなってしまったりもする。

 

 弾き語りをしている時に思い出すのは、去年毛皮のマリーズコピーバンドをしていた頃のこと。ボーカルの子が僕の方を見ながら「ビートルズと同じだね」って言った。初めは何か分からなかったけれど、Gコードを押さえるときに二弦の三フレットも押さえるフォームはビートルズがよくしていたらしい。その時はどうして自分がそのフォームなのか分からなかった。ビートルズは好きだけど、好きになったのは大学に入ってからで、フォームを意識しながら弾き語りをしたことなんてもちろんなかった。不思議だなと思っていたけれど、歌でも歌おうかと思って部屋にあるスコアを眺めていた時にその謎は解明された。

 

 僕がその時見ていたのは中学二年の時に買ったフジファブリックのバンドスコアで、茜色の夕日という曲がGコードから始まるのだが、まさにそのビートルズのフォームが記載されていた。そのバンドスコアはメンバーが監修していたものだったので、志村の押さえ方をそっくりそのまま写していたのだろう。志村正彦ビートルズのファンで、レノンスーパーライブでstrawberry fields foreverをカバーしていたり、蒼い鳥という曲ではBecauseのイントロそっくりなメロディが聴けたりもする。だからGコードの押さえ方もビートルズと同じフォームだったのかもしれない。そしてそのフォームは、バンドスコアを見ながら悪戦苦闘していた中学生の僕に、無意識のうちにすりこまれていったのだろう。

 

 「親たちが追いかけた白人たちがロックスターを追いかけた か弱い僕もきっとその後に続いたんだ」andymori1984という曲でこう歌っている。音楽や小説に触れているとたまにそんな瞬間に出会うことがある。彼らが辿ってきた道の上に偶然躍り出たような感じがしてなんだか嬉しくなってしまう。その道を僕も辿るかどうかはさておいて、僕は今日もへたくそな歌を歌っている。

 

 

 今月末に引っ越しをする。新しい部屋の防音性を確認し忘れたのが気がかりだ。