世界音痴

 最近、また入眠障害に悩まされている。昨日はいざ眠らん、とベッドにもぐりこんだのが23時で、そこから3時まで一向に眠れる気配がなく、動かないタイムラインや少し攻めた内容の深夜番組を眺めてはどうして僕がこんな目に合わなければいけないのだろうと考えていた。

 

 

 この症状は何回か経験していることで、特に二年前の冬は毎日のように入眠障害と戦っていた。もうどうしようもない、と思った時もあったが病院に行くのはなんだか気が引けた。薬を貰って眠れたとして、それからは薬が無いと一生眠れなくなるんじゃないか?と恐れてしまった。それでもやはり眠れないのは耐え難いので、風邪薬を飲んでその副作用で眠りにつくという荒業をすることも何度かあった。

 

 この苦しみは他人に相談してもなかなか理解されない。「えー、大変そうだね。私なんてベッドに入ったら3秒で寝ちゃうのに。」大体の人がこう言う。誰もあなたの入眠事情を教えてくれなんて言っておらん。眠りにつくまで3~4時間、なんて世界は想像もできないのだろう。2時間ぐらいは地獄のような気分だけど、4時間も経つと逆に楽しくなってくるんですよ。

 

 

 眠りにつくまで時間がかかるということは、起きる時間も遅くなるということで、今日目覚めたのは昼の12時半。しかもかなり鮮明な夢を見るほどに眠りが浅かった。普通の人と同じように眠れない、というのは精神に結構な負担がかかる。目覚めてからもただひたすらにぼーっとすることしかできず、これではいかんと思い、少し遠いところにあるブックオフまで自転車を飛ばすことにした。そこで穂村弘の『世界音痴』を買った。

 

 

 穂村弘歌人であり、処女作の『シンジケート』が有名らしい。一時期短歌の世界に片足突っ込んだ僕は『シンジケート』を求め古本屋を巡ったがどうも出会える気配がしない。諦めてしまった僕にサークルの後輩が穂村弘なら『世界音痴』というエッセイが面白いですよ、と教えてくれた。

 

 

 太宰治を読んで「ここには俺のことが書いてある」と思う人は多いと思うが、僕はこの『世界音痴』を読んで「ここには俺のことが書いてある」と思った。飲み会の場に確かに存在する見えないルールが苦手、半額の刺身パックの前で急に人生の限界を感じる、レストランの席を立つときは忘れ物が無いか確認しないと気が済まない、新しい出来事や経験を恐れるあまり人生に変化がない、昔の恋人の名前をインターネットで検索してみる、エトセトラ、エトセトラ。こんな陰気くさい内容を軽快な文体でただひたすらに語っていく。なるほど確かに面白い。2時間ほどで一気に読み終えてしまった。

 

 

 この作品はエッセイとしての面白さが目立つが、エッセイの最後につけられている短歌も素晴らしく、歌人としての穂村弘を見せつけられた。

 

〈ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は〉

〈朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜〉

〈夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう〉

〈サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい〉

〈終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて〉

 

 

 ブックオフから帰る途中、サンダルをはいた足に妙な違和感が蓄積していて、帰るなりすぐに足裏を確認してみると大きなマメができてしまっていた。長時間サンダルで自転車を漕ぐとマメができるなんて想像もしていなかった。初めての体験で、初めての痛みにひぃひぃ言いながら散らかった部屋をぴょこぴょこ跳ねて移動している。これも世界音痴ってやつなのかなと思ってみるけれど、残念なことに僕は短歌を作れない。