カキフライが無いなら来なかった
大学院に入るための試験が終わった。長くて辛い日々を過ごしてきたが、なんとかなったような、なってないような、そんな曖昧な気持ちで短い夏休みを迎えることになった。最近特に思うのだけれど、最後の試験が終わって夏休みに入るときの解放感というのが年々薄れてきている気がする。高校生の頃は感情が爆発しそうなくらい嬉しかったのに、今では試験前の憂鬱さを捨てきれずにそのままずるずるとベッドに潜り込んでしまう。せっかくだから夜更かしでもするか、と意気込んでも生活リズムというのはキッチリしているもので、夜の12時になると眠たくてもう何も考えられなくなる。
もやもやした気持ちで何をするわけでもなく休みを消化しているが、そろそろブログを更新するべきかなと思いキーボードを叩いている。この気持ちすら無くなってしまった時、ある種の終わりがやってきて、大人になったと言われるのかもしれない。
今回紹介するのは俳人・せきしろと芸人・又吉直樹の共作『カキフライが無いなら来なかった』。せきしろ、という人は小説を書いたりコラムを書いたりなどなど色々と活動している。この人のことは全然分からない。この本を買ったのは又吉直樹の方につられたからだ。又吉直樹というと今では芸人ではなく小説家として活動していることが多いが、この作品が初めての著書となるらしい。恥ずかしながら彼の小説は一作も読んだことが無い。けれども小説を紹介するエッセイ『第2図書係補佐』はとっても好きで何度も読み返している。本当におすすめです。
この作品には四百六十九句の自由律俳句と二十七の散文が収録されている。散文は箸休めのようなもので、基本的には一ページにつき一つから四つまでの自由律俳句をこれでもかというペースで読み進めていくこととなる。分け入っても分け入っても自由律俳句。
好きな句を引用していく。
『目を開けていても仕方ないので閉じる』(せきしろ)
あるある。眠れない夜とか、退屈すぎる授業とか、痴話喧嘩の最中とか。
『まだ眠れる可能性を探している朝』(又吉直樹)
もういいや起きていてしまおう、と決意した四時ごろに限って眠れる気配がしてくるものです。
『よくわからないが取り敢えず笑っている状態』(又吉直樹)
研究室にいるときは基本この状態。
『またカット世界チャンピオンの店だ』(せきしろ)
僕の街だけに多いのかと思っていたがそうではないらしい。
『フタをしめない主義なのか』(又吉直樹)
声に出して言うようなものでもないけれど、気になってしまう、そんな気持ちが等身大で表されている。
『ぼんやりにまみれている』(又吉直樹)
今の僕だ。
『ビールを旨いとあおる女子をまだ少し疑っている』(又吉直樹)
「とりあえず生で」というセリフにぎょっとしてしまう。
『自分だけ助かっている想像をまた』(せきしろ)
自分だけが死ぬ想像もよくする。
『山では素直に挨拶できる』(又吉直樹)
山に行ったことはないけれど、僕もそうだと思う。
『醤油差しを倒すまでは幸せだった』(せきしろ)
あぁ…って言ってしまうこの一行。
『あの猫は撥ねられるかもしれない』(せきしろ)
助けに行かない自分を正当化する自分。
『このままでは可決されてしまう』(又吉直樹)
自分では何も言わず、キョロキョロと反論してくれる人を探す。
『ベースが良いねって貴様は誰だ』(又吉直樹)
ベースを褒めておくといいという風潮は確かに存在している。
『自己紹介の順番が近づいてくる』(せきしろ)
人生であと何回この緊張を経験するのだろうか。
『誘われるまで帰るふりをする普通に普通に』(又吉直樹)
誘われても平然とした態度を取ろうとする。
などなど。5~6句引用するつもりが結構な数を引用してしまった。この他にもまだまだ共感できる句、共感できない句、共感したくないけどしてしまう句が盛りだくさんです。散文も「トイレを借りに百貨店に入ったけれど一応物を買うようなそぶりをする」とか「大みそかの夜にカラーボックスを買う人が気になる」だとか日常の些細な気持ちが書かれていてとても良い。
本の最後には少し長めの散文があり、それぞれが一句ずつ詠んで終わりとなっている。この最後の散文と一句がどちらも素晴らしいのでぜひ読んでもらいたい。
全然納得のいく文章が書けない。リハビリが必要だな。