ひきこもらない

 何がそうさせているのかは分からないが、心に余裕がない。知り合いの、または街で見かけた赤の他人の、些細な言動・行動に苛立ちを覚える。体の内側を火であぶられたような苛立ちが、頭の中にある”考えるスペース"をキュッと狭めている。人に対して負の感情しか抱けなくなる瞬間がある。本当に性格が悪くなったと思う。

 

 

 そんな状態で本を読むと、その文章に対しても負の感情を抱くだけであって、本に対して失礼なことをしているんじゃないかなと思ったりする。でも余裕のない自分というのもまた自分なのであって、その自分を排斥しようとするのもまた、自分に対して失礼なことなのではないか。僕は何を言っているのか。これ以外に何を言えるのか。分からない。自分と他人が分からない。意味もなく人が憎い。

 

 

 今日の記事はかなり僕の偏見が含まれているので、ある種では不適切な文章なのかもしれない。でもよくない?適切ってなんだ。読んだのはphaの『ひきこもらない』。

 

 phaはいわゆるインターネット界隈の人で、社会になじめずシェアハウスなどをして文章を書いている人、ぐらいの認識だった。『ひきこもらない』のほかにも『しないことリスト』、『持たない幸福論』など、「ゆるい生き方」を提示していてそれが一定数の人に受けている。僕はその一定数の人間ではなかったのかなというのが今回の話。

 

 一行目からギョッとした。

〈一人暮らしは寂しいしつまらないしコスパが悪い。〉

 確かに一人暮らしは寂しい。これまで人生の大半を家族と暮らしてきて、大学生になってから急に一人で暮らすことになった時は、寂しさから色んな友達(そんなに仲の良くない人まで)を家に招いたり、逆にその人に家を訪れたりしていた。今ではそんなことは少なくなったのだけれども、それでも人とつながっている感覚を求めてSNSにしがみついている。寂しい、が、つまらないことはない。部屋のレイアウトとか、今日の晩御飯とかを自由に決められる楽しさがある。ゴミをためていても怒られないし、ゴミをまとめて出して解放感に浸る喜びもある。一人暮らしには一人暮らしなりの楽しさがある。コスパは確かに悪いかもしれない。シェアハウスとかの方が家賃などが分担されるからそりゃコスパはいいだろう。お金だけの問題ならその通りだが、コスパという言葉はお金以外の様々を度外視している気がして僕は嫌いだ。費用に対する効果、それだけで物事を図るなんて無粋だ。でもそのお金以外の観点をさびしいとつまらないでカバーしているのか?分からないが。もちろんこの一行だけを読んでここまで文字を連ねたわけではなく、その後に続く文章も飲み込んだうえで書いている。それでもやっぱりこの一行には眉をひそめてしまう。単純な話、人間性が合わないというだけ。人間性が合わない人に対してそこまで躍起になるのも無駄なことだと僕の中にいる誰かが言っているが、無駄か、そうでないかで行動を決めるべきではない分岐点というのがあると僕は信じている。この本を読んでぐらっと煮えた感情こそが自分の本質のような気がして、それを逃したくが無いためにキーボードを叩いているが、今のところ掴めたものはしょうもない偏屈な心だった。俺は何を書いているんだ?

 

 

 あと二つ、許せなかった部分を書く。

〈漫画ではなく活字でしか表現できない内容も世の中にあるけれど、それはごく一部で、大体の内容は漫画にしたほうが読みやすいし、分かりやすい。〉

 活字でそれを言うな。

〈毎食これを食べていれば栄養的に完璧だという「完全食」のようなものがコンビニで手軽に買えるようになって、毎日それを食べていれば完全に健康的な食生活を送ることができる、という世の中が早く来ないものだろうか。そうしたら何を食べればいいか考えなくてよくて楽になるのに。〉

 これには絶句。

 

 

 この「ゆるい生き方」とやらに共感して気持ちよくなってる人にはなりたくねぇと思った。かなり喚き散らしてしまったが、ただただ人間性が合わなかったというだけで文章自体は読みやすいし、サウナにハマるくだりはかなり面白かった。上に述べたような極端な意見を除けば、「なるほどそういう見方もあるのね」となるような意見もたくさんあった。心に余裕があるときに読めば、もっと純粋に受け入れられたのかもな…。