シンドローム

 いつもはしょうもない近況報告をしてから本の感想に移っているのだけれども、それをする気すら起こらないほど、佐藤哲也の『シンドローム』は面白かった。

 

 

 かねがね噂には聞いていた。『シンドローム』は自意識過剰な人間に刺さるだとか、青春要素とSF要素の混合具合がいいだとか、そういう類のことを。僕自身、最近小松左京とか筒井康隆を読んでいてSFに対するモチベーションがあったので、そろそろ読んでみるかと思って手に取ったのだが、もう完全にぶちのめされた。

 

 

 あらすじはなんてことはないSF物で、ある日、街のはずれに隕石のようなものが落ちてきて、数日後に街で不可解な陥没が起こり、その穴の中から現れたエイリアンが人を襲うというお話。しかし主人公の「ぼく」はそんな喧騒のさなか、同級生の久保田葉子のことばかり気にしている。〈精神的〉なぼくが恋などという〈迷妄〉に踊らされることはないと、ひたすらに、しつこく悶々とするさまが描かれている。

 

 ぼくはどちらかと言えば精神的な人間で、精神的であることを好み、精神的でなければならないと考え、非精神的な状態には嫌悪を覚えたので、平岩のように非精神的な期待や願望をあからさまに外へ出すことは出来なかったが、それでもときには精神的な領域の外に感情があふれて、平岩のように非精神的とは言えないまでも、必ずしも精神的であると言い切れないところで不可解な反応をすることがある。

 

 平岩はクラスメイト以上友人未満といった関係で、上にも引用したように〈ぼく〉とは対照的な性格をした恋のライバルとして描かれる。正確には二人とも久保田葉子のことが好きだとは明言していないのだが、〈ぼく〉は久保田葉子を意識するあまり平岩を意識し、また、平岩を意識するあまり久保田葉子を意識してしまうようになる。

 

 

 久保田は少し変わっているのだ、とぼくは思った。その久保田に関心を抱く平岩もたぶん変わっているのだ、とぼくは思った。平岩は久保田を久保田さんと呼ぶ。ぼくは久保田を久保田と呼ぶ。久保田を久保田と呼ぶことで、久保田を抽象化しているのかもしれない。久保田を久保田と呼んで抽象化し、言わば非精神的な要素を排除することで久保田とのあいだに距離をたもち、安定させているのかもしれない、とぼくは思った。

 

 

 〈ぼく〉の語りにはいくつかのキーワードが登場する。〈精神的/非精神的〉、〈迷妄〉、〈徹底的な憎悪〉、〈ヒロイズム〉などなど…。これらの単語が文章の中で幾度となく反復される。普通ならばしつこいと感じるだろうが、〈ぼく〉の語りではなぜかこの反復がとても心地よく感じる。ものすごく段階を刻んで、丁寧に理論を組み立てていくような感覚。しかし整然と組み上げられた理論は、平岩や久保田の些細な言動・行動により一瞬のうちに吹き飛ばされ、また初めから別の理論の構築が始まる。この繰り返しの間に、街では陥没が進行し、エイリアンの目撃情報などが広まり、不穏な空気が立ち込めていく。

 

 

 語りと対照的なのが会話シーンだ。〈ぼく〉の語りは基本的にほぼ改行が無く、ページにびっしりと文字が敷き詰められているのだが、会話シーンでは驚くほどに余白が多い。台詞一つ一つが短いのもそうなのだが、この物語では極力会話の文字数を揃える工夫がされており、会話と余白の層がはっきりと認識できるようになっている。この形式は普遍的なものではあるが、全編にわたって徹底的に行の長さが揃えられているのは中々前例が思いつかない。

 

「ゆうべ、公民館でさ」倉石が言った。「変な話を聞いたんだ」

ぼくは倉石の顔を見上げていた。なんの話かは見当がついた。

「地面の下に何かがいるって。触手が動くのを見た人がいる」

ぼくは黙って平岩に目を移した。怒ったような顔をしていた。

「信じられるか?」平岩が言った。「おれは絶対、信じないぞ」

「でも嘘を言うようなひとじゃないんだ。真面目な人なんだ」

「嘘をついてるとは言ってない。たぶん何かを見間違えたんだ」

「それに見たっていうひとは一人じゃない。たくさんいるんだ」

 

 物語終盤ではエイリアンの脅威と直接対峙することとなり、それによって〈ぼく〉と平岩と久保田の関係はすごい速さで突き動かされていく。〈ぼく〉の語りもヒートアップし、迷妄に踊らされまいとしていながらも、実際のところ踊らされていることに気づいていないような、混沌とした状態になる。そして、読者にその混沌に対する答えをゆだねるような「余白」を残して物語は幕を閉じる。

 

 

 

 低予算ながらもストーリー・構成に妙が光る短い映画を見ていたような、そんな余韻を感じた。自分の中で物事を必要以上に深く考えすぎてしまうような人なら刺さる物語だと思う。本当に面白かった。

 

 

 ちなみに単行本なら西村ツチカによる挿絵が入っている。それを知らずに文庫で買ってしまった僕は、つい先ほど単行本を注文した。