ホテル・アルカディア

 こんな時なので、個人的に嬉しかった話を一つ。石川宗生の新作が出た。

 

 

 デビュー作でもある前作『半分世界』を読んだときの衝撃は忘れがたい。SFとも言い切れない不思議なアイデアから始まって、それを真剣にこねくり回し、最終的には文学の領域にまで片足を突っ込む作風には圧倒された。まさしく一目ぼれといった感じで、二作目をまだかまだかと待ち構えていたのだが、二週間ほど前に急に新作発売の告知が出て、慌てて書店に駆け込んだのだった。京都でもかなり(というか一番)大きい書店で新作を求めたのだが、僕が手に取ったのは最後の一冊だった。周りで石川宗生を読んでいる人をあまり見かけないが、実は隠れファンが多いのかもしれない。

 

 『半分世界』は短編4作を収録した作品だったが、今作『ホテル・アルカディア』にはさらに短い掌編ともいえる21作が収録されている。これら21作品は独立したストーリーであるが、全て作中作という体で語られている。

 

 題名でもあるホテル〈アルカディア〉の支配人の娘プルデンシアがある日コテージに引きこもったという噂が流れる。引きこもりの理由は定かではなく、支配人が食事を届ける際にドアに向かって語り掛けるもプルデンシアは一向に出てくる気配を見せない。そんな中〈アルカディア〉に投宿していた7人の芸術家たちが、プルデンシアのためにめいめいが自作した物語を朗読することを思いつく。そして語られ始める21作の掌編たち…。というストーリーなのだが、このほかにも掌編とは異なる小話が合間合間に挿入される。それらの小話も一筋縄ではいかないもので、時空の隔たりやリアルとフィクションの混合を感じさせるものとなっている。

 

 

 語られる21の作品たちはどれも奇想めいたものばかりで、読んでいて楽しかった。特に好きな作品をいくつか紹介する。

 

 「タイピスト〈I〉」は仮想空間内に自らの意識を再現し、タイピストに文学作品の情報を打ち込んでもらうことで五感的な読書体験が得られる〈タイピング〉にハマる女性の話。初めは既成の文学作品をタイピングしてもらっていたがそれだけでは物足りなくなり、タイピストのオリジナル作品を打ち込んでもらうようにもなり、やがては…といった流れで、星新一のようなアイデアフィリップ・K・ディックの雰囲気で拡張したような作品だった。例えがありきたりすぎるな。〈タイピング〉自体は近い将来実現してもおかしくない気がする。その時には、今の〈読書〉は古めかしいものになってしまうのだろうか。

 

 「測りたがり」はそのタイトルの通り、目に入ったものは全てメジャーで測りとってしまいたい青年が出てくるストーリー。

夕暮れどき、エミリがやって来た。ボーイフレンドを連れて。彼は挨拶も抜きに「ちょっとごめんね」と、ポケットから群青色の円形メジャーを取り出す。右手でびっとビニール製の帯を伸ばし、ドアノブの周囲を測りだす。そして一言。「一五・四センチ」それから鍵穴。「一・二センチ」

 彼女に連れられて友人の家を訪れるのだが、玄関先からあらゆるものを測りつづけるため、出された料理になかなかたどり着けない。ようやくたどり着いてもいちいち測り取ってからでないと食べることができない。すこし狂気じみた話ではあるが、ライトに語られるためかなり読みやすかった。長さを測り続けているせいで、長さを持たないものに対しても長さのイメージが浮かぶようになったというエピソードが好き。

 

 

 「チママンダの街」はバベルの塔のように、無限に続く塔をひたすら上る話。塔自体は街として機能しており、階数を重ねるごとに街の様相は変化していく。17階にはレストラン、70階にはカジノがあり、300階からは田園地帯が広がり、1000階付近から気温が低下したと思うと2000階付近からは気温が急上昇、そして5000階、10000階…。掌編であるがために、結構あっけなく最上階に辿り着いてしまう。この話はもう少し掘り下げてもよかった気がするのでもったいないなと思ってしまった。

 

 

 「チママンダの街」に限らず、まだまだ深くまで掘れるはずの題材がぷつっと途切れてしまうのには残念な気分にさせられた。『半分世界』で深く掘った結果を見てきたから、なおさらその気分が強くなったのかもしれない。時間を気にせずにサクッとひとつ読めるのはいいことなのだけれども。

 

 あともう一つ感じたのは、小ネタの多さ。『半分世界』でもイタロ・カルヴィーノの『不在の騎士』が出てきたりと世界文学の知識がある人なら思わずニヤリとするような小ネタがあったが、今回はそうした小ネタが結構がっつりストーリーラインに絡んでくるという印象を受けた。僕の知識不足が原因して、それらの元ネタが分からないことが多々あり、知らないカタカナが出てくるとグーグルで検索しながら追うことになった。小ネタは固有名詞に限らない(ヴォネガットが「猫のゆりかご」で書いたボコノン教を彷彿とさせる文章があった)ようなので、僕が見落としているものがまだまだあるかもしれない。それが気になって後半は純粋に物語を楽しむことができなくなったりもした。

 

 

 いくつかの不満点はあったが、それは「前作と比べると」という話なのでそんなに気にすることでもないのかもしれない。やっぱり一つ一つのアイデアや語りは素晴らしいものだし、特に海外文学好きならハマる作品だと思う。小ネタとして使われている海外文学を読むモチベーションもかなり高まった。

 

 

 これからまた首を長くして次回作を待つ日々が始まる。