雪国

 2020という数字はキリがよくて、未来的だなと思っていたのだが、そこに1を足して2021となると、なんだか得体の知れないやつという感じがする。得体の知れない年になってもう一週間が過ぎたが、今のところ心身ともに安定していて、いい感じだなと思っている。まぁどうせすぐに崩れてしまうのだろうが、安定している今を喜ぶのは悪いことではない。

 

 京都に住み始めてから5回目の年越しだったが、今回はこんなご時世なので帰省することを断念して、初めて京都で年を越すことになった。とはいえ、やることは実家にいる時と変わらなかった。年越しそばを食べ、紅白をみて、ぬるっと年を越して、三が日は暇だなと言いながら本を読む。

 

 年明け一発目に読む本は、ちょっとハードルの高いものにチャレンジしてみたくなる。去年はG・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を一冊目に選んだが、今年は川端康成の『雪国』を選んだ。この2冊のチョイスから、僕はノーベル文学賞受賞作家にハードルを感じていることがわかる。

 

 『雪国』とは…と2021年にもなって語り始めるのも滑稽なほど、説明不要の有名作品。しかしながら、あまりにも有名すぎるがゆえ、そろそろ読むかと思っても、いや、今更こんな有名作読むのもな、という謎の言い訳に行きつき、結局読まない、みたいなことを僕は高校生活の半ばぐらいから続けてきたのだった。今、参照するために手元に置いてあるのは新潮文庫の『雪国』だが、これを買ったタイミングを本当に思い出せない。おそらく5年以上本棚の肥やしとなっていたが、新年の力を借りてようやく読み通すことができた。

 

 島村という男が、かの有名な書き出しの通りに、列車に乗って雪国を訪れる。そこには芸者の駒子という女がいて、まぁ当然のように島村と駒子は惹かれ合う。ざっくり言うとそんなストーリー。なので島村と駒子の関わりが物語の大半を占めているだが、この2人の会話が曲者だと僕は感じた。

 

「私帰るわ。」

「帰れ。」

「もうしばらくこうさしといて。」

「それじゃ僕はお湯に入って来るよ。」

「いやよ。ここにいなさい。」

 

 いや、どういうことやねん。と、たびたびツッコミを入れつつ読んだ。「雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めない命の各瞬間の純粋を見つめる物語」とwikipediaには書かれているが、そうだろうか…という思いが拭えない。確かに登場人物の会話や心情描写が読みにくいというわけではなく、むしろテンポ感があって読み始めるとスラスラ読めてしまうのだが、読み進めて、そういえばこれは今どういう流れなんだ?と思いとどまる瞬間が多かった。これはいわゆる「純文学」でノーベル賞も取ってる川端康成の代表作なのだから、そこにツッコミを入れてしまっては元も子もない、というか理解できないお前はまだまだだ、と頭の中で誰かが偉そうに言ってくるのだが、それでも僕は僕の感性を信じて、『雪国』の良さはよくわからなかったと主張したい。情景描写は素晴らしいと思った箇所がいくつかあったが。

 

 一面の雪の凍りつく音が地の底深く鳴っているような、厳しい夜景であった。月はなかった。嘘のように多い星は、見上げていると、虚しい速さで落ちつつあると思われるほど、あざやかに浮き出ていた。星の群が目へ近づいて来るにつれて、空はいよいよ遠く夜の色を深めた。国境の山々はもう重なりも見分けられず、そのかわりそれだけの厚さがありそうないぶした黒で、星空の裾に重みを垂れていた。すべて冴え静まった調和であった。

 

 日本人のノーベル文学賞といえば川端康成大江健三郎で、大江健三郎といえば『万延元年のフットボール』だと僕は勝手に思っているのだが、この作品も僕にはあまりピンとこなかった。しかし、『個人的な体験』や『われらの時代』は非常に面白いなと感じられたので、川端康成も『雪国』以外の作品で面白いと思えるのかもしれない。おすすめがあったらぜひ教えてください。

 

 

 『雪国』を読み終えて、テレビをつけると1都3県に緊急事態宣言が発出されるというニュースが目に飛び込んできた。2020年は歪な一年だったが、2021年もまた歪な年になってしまうのだろうか。