人として軸がブレている

 日々の激しい流れの中をもがくように生きていると、4月も終わりを迎えようとしていて、街はすっかり新緑といった様相。2月には街の骨のように見えていた木々にも、ワサワサと葉が生い茂っている。道路沿いにはコデマリとサツキの花が咲き乱れていて、桜の時期とはまた異なる春の心地よさを感じさせてくれる。天候は基本的に快晴。暑さを感じるほどでもなく、吹く風はどこまでも涼しい。妙に歩きたくなる毎日。僕は陰鬱とした気分で筋肉少女帯を聴いている。

 

「昔、ある歌手は遠くへ行きたいと

唄って 喝采を浴びたが

遠くへ逃げたいと 唄う 僕を

SISTER STRAWBERRYは

恥じているようだった」

(キノコパワー/筋肉少女帯

 

 

 まさしくその通りで、僕はどこか遠くへ逃げたいと考えているのだが、どこかへと逃げる勇気や気力を持ち合わせていないため、すがるように筋肉少女帯のアルバムを再生する。僕のApple musicの再生履歴ページには、筋肉少女帯のアングラなジャケットが立ち並んでいて、少し歪な精神状態が反映されている気がしなくもない。心が挫けそうになると、一つのアーティストに絞って作品群を網羅的に聴くという癖があり、就職活動が始まってからというものの、ゆらゆら帝国やamazarashiなどの作品をローラー作戦のごとく一つ一つ聴いてきた。今回はその標的が筋肉少女帯に移ったという話になる。

 

 日本のアングラバンドという括りで、よく人間椅子と共に語られる筋肉少女帯だが、そのふざけたバンド名や、フロントマンである大槻ケンヂおちゃらけた性格や、「日本印度化計画」「元祖 高木ブー伝説」など有名曲のイメージが先行し、コミックバンドとして認識されていることが一般的であるように感じる。僕もそうだった。でもよくよく聴くと、心の後ろめたい部分にライトを当てるようなオーケンの歌詞と、それを昇華するようなバカテク演奏が非常にマッチしていて、コミックバンドとして一笑に付すことはできなくなる。

 

蜘蛛の糸を昇って いつの日にか 見下ろしてやる

蜘蛛の糸を昇って いつの日にか 燃やしてやる

最近どうもみんなが ボクを笑ってる気がする

(蜘蛛の糸/筋肉少女帯)

 

「ならば問う 人生とは何ぞや?」

イデオロギー無き我が屍を

血祭りにあげるが如し!」

(スラッシュ禅問答/筋肉少女帯)

 

 特に衝撃を受けたのは上に挙げた「蜘蛛の糸」が収録されているアルバム『レティクル座妄想』で、これは自殺者たちがレティクル座行きの列車に乗ってレティクル座を目指すという設定がベースにあるコンセプトアルバムとなっている。その世界観を構築している歌詞の中には文学やオカルト、ロック、エロ、グロ、ナンセンスが散りばめられており、文字だけでは陰気くさすぎるのだが、大槻ケンヂはいかにもHR/HMでございと言わんばかりのシャウトや、まさしくストーリーテラーであると言えるようなポエトリーリーディングで、こちらに摩訶不思議な世界を見せてくれる。

 

 こんな世界観をその中に持っている大槻ケンヂの文章に触れたい、と思って「人として軸がブレている」というエッセイ集を購入した。このエッセイ集は、筋肉少女帯が再結成してから3年後の2009年の時期に書かれたもので、5度目の武道館公演の裏側やアニメ「さよなら絶望先生」のOP作製の話などが載っている。その他としてはオカルトやプロレスの話をしていて、というかむしろこっちの話の割合が大きく、「変な人」オーラが文章からも滲み出ている。だが、それと同じくらい「いい人」オーラも感じ取れる。

 

 それって人としてはかなり軸がブレているんじゃなかろうかと思いつつ、軸がブレているという"型"としては何十年も型崩れを起こしていない。結構世の中そんな連中多いだろうし、いいんじゃん?それで、と畳部屋で僕は思った。

 

 僕自身も毎日、軸のブレを痛感している。結局自分が何をしたいのかよく分からないのだが、ESや面接官たちは執拗にそれを聞いてくるので、自分を騙しながら苦し紛れの答えを絞り出している。まさしく心を絞るような日々。精神衛生を守るためTwitterを見なくなったが、それで空いた時間を有効に活用できているかと言われるとそうでもない。小説は読まなくなったし、映画も見なくなった。心の中が空っぽだから人と会っても何を話せばいいのか分からない。一人きり部屋の中でYoutubeや漫画アプリを眺めて、時間を徒に消費し、現実から逃げ続けている。こんな人間にはなりたくなかったのに!!大学に入ってからのこの5年間でどんどんなりたくなかった自分になっていく。その点では、僕も、なりたくない自分になるという"型"を持って生きてしまっているのかもしれない。この型を突き詰めた果てに僕もまたレティクル座行きの乗客となるのかもしれないがレティクル座行超特急は罪を背負った人間ならびにつまらない人間は飛び降りる必要がありくだらない人間かどうかを決める素敵な審査員であるジム・モリソンや江戸川乱歩らによってくだらない人間であるという烙印を押されるであろう僕もまたオーバーニーソックスを履いた少女と同じように悲鳴をあげながら奈落の底へと落ちていかざるを得ないのだしかしそれでも生きていかざるを得ないのだ僕は人生を戦わなければならないのだ人生を人生を戦わなければならないのだ人生を!