日本文学盛衰史

きみがむこうから 歩いてきて

ぼくが こつちから

歩いていつて

やあ

と言つてそのままわかれる

そんなものか 出会いなんて!

 

 

田舎へ行くと いちごばたけに

いちごがあり

野菜ばたけに 野菜がある

百姓の友だちが ひとりいて

 

ぼくは  百姓の友だちの

百姓でない友だちの ひとり

 

なあ おれたち

こうしてうろついてばかりいて

きつとこのままとしとるな

二十代の次には 三十代がくる

その次は たぶん 四十代だな

 

うん とおい国には 動乱があり

きのう 百人殺された 今日も

百人殺されるだろう それとも

殺すのだろうか……

 

宿に帰つて ひとりで

酒をのむ

腕をくみ あるいは

頭をかしげ

 

なにもみえない 外の

くらやみをみつめたり

眼を 閉じたりする これが

生きる姿勢なのだろうか

 

(きみがむこうから……/辻征夫)

 

 2017年の2月、僕は到底住み良いとは言えないアパートの一室で、鍋をみつめていた。そこは、僕が敬愛している先輩の家で、六畳もないようなスペースに生活のあらゆる要素と、大量の本やCDが詰め込まれていた。先輩と仲の良い同期の人たちは、その人が集まるのに適していない空間で、鍋をするのを冬の恒例行事としているらしく、彼らに可愛がられていた僕がそこに呼ばれたという経緯になる。キッチンなどはあってないようなもので、鍋をするにしても劣悪な環境だったが、それが逆に面白く、先輩たちとただひたすらに笑いながら鍋をつついていた。

 

 お腹も満たされて落ち着いた頃、家主である先輩と本の話をすることになった。僕も先輩も、村上春樹の『風の歌を聴け』やR・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』に衝撃を受けたという点で一致していることが判明し、大層盛り上がってしまって周りの人そっちのけで本の話に夢中になった。その流れで、先輩は僕に「高橋源一郎を読んだことがあるか」と聞いたのだった。

 

 高橋源一郎ポストモダン文学という括りで名前は聞いたことがあったのだが、作品は読んだことがなかった。代表作のほとんどは講談社文芸文庫であり、古本であったとしても千円近くするという敷居の高さから、手を出せていなかったのだった。

 

「いや、でも君は絶対に読んだほうがいいよ」

「そうなんですか…?じゃあ、ちなみに『さようなら、ギャングたち』と『ジョン・レノン対火星人』ではどっちの方がおすすめですか」

「あー…『ジョン・レノン』もいいけど、まずは『ギャング』だね」

 

 そして僕は高橋源一郎のデビュー作である『さようなら、ギャングたち』を購入し、読み始めてから一度も中断することができずにそのまま読み切ってしまい、その後の読書観というか、人生観をねじ曲げられるような衝撃を受けたのだった。

 

 『さようなら、ギャングたち』は、小説ではあるのだが、詩に限りなく接近している(と、僕は感じている)。改行を多用しているのも大きな要因だと思うが、その言葉遣いや文章が小説のものではなく詩のためのものであるように感じられる。しかし視点を少し広くしてみると、これは詩ではなく、小説だと確かに感じる。そこからもう少し視点を広くすると、今度は小説ではなく、詩が書かれているように思える。この不思議な魅力に取り憑かれ、僕は「詩」と「小説」の境目には何があるのだろう?と考えるようになり、それを探るために詩集を買い漁るようになった。そして、3年ほどが経ったが、その答えがいまだによく分からないまま、今も詩集を読み漁っている。

 

 男は私の書いた詩を2秒か3秒ぼんやりながめると、匂いを嗅いだり、なめたり、陽の光に透かしてから、「この字を書いてある所だけが詩なのかい?」と聞くのだった。

「うん」とわたしは答えた。

「単純だな」と男は言った。

 わたしの詩は単純だった。

 わたしの詩は今も、これからも単純だろう。

 わたしの詩は、作者と同じように単純だろう。

(さようなら、ギャングたち/高橋源一郎)

 

 

 そして、詩集を読み漁るのと同時に、高橋源一郎の作品も少しづつだが読み進めている。僕はこれまでに『さようなら、ギャングたち』(1982年)、『虹の彼方に』(1984年)、『ジョン・レノン対火星人』(1985年)のいわゆる初期三部作と、『優雅で感傷的な日本野球』(1988年)、『ゴーストバスターズ』(1997年)を読んできた。初期三部作は、どれも荒削りなテーマと文章がとても良いなと思っているのだが、残りの二つは洗練されてきた文章でナンセンスなことを無理やりやろうとしている感じがして、なんだか微妙だなぁと感じていた。僕が高橋源一郎に求めていたものは初期作品にしかないのかな…という気持ちになりながらも、この前ブックオフで見つけた『日本文学盛衰史』(2001年)を読み始めた。文庫本にして600頁を超えているので、もしかしたら読みきれないかもな…と最初は思っていたのだが、杞憂だった。これ、めちゃくちゃ面白い本です。

 

 『日本文学盛衰史』という厳かなタイトルだが、内容もそれに沿ったものになっている。明治40年辺りを舞台として、詩や小説にはどういった文体・テーマを使えば良いのか?ということに苦悩する作家たちが描かれる。主な登場人物として二葉亭四迷石川啄木島崎藤村国木田独歩などなど、名前は知っているが恥ずかしながら作品は未だ読んだことがない作家たちが登場する。その他にも彼らの周辺人物として夥しい数の小説家・詩人・評論家が登場し、彼らの間で本当にあった出来事をベースに話が進んでいく。ここまで聞くとガチガチの文学史小説という感じだが、それで終わらないのが高橋源一郎である。

 

 それから、ふたりは黙って島村抱月の弔辞に聞き入っていた。

「新しい作品を、朝日に連載されると伺いましたが」小さい声で鷗外はいった。

「一回目を一昨日書いたばかりです」

「題は?」

「『それから』といいます」

 抱月が終わると、最後は小林愛雄の番であった。

「森先生」

「なんですか」

「『たまごっち』を手に入れることはできませんか。長女と次女にせがまれて、どうしようもないのです」

 

 石川啄木は女子高生を買い、田山花袋はAV監督になり、北村透谷はヘッドホンでドアーズを聞き、島崎藤村はカラオケで宇多田ヒカルの「Automatic」を歌う。 現代(もう20年も前だが)のアイテムがあまりにも自然に導入されるので、読んでいて頭が混乱してくる。その混乱に追い討ちをかけるように、高橋源一郎は奇妙な並行世界を描く。田山花袋の『蒲団』をベースにAVを撮ろうとしている現代と、「露骨なる描写」を追い求めて田山花袋がAVを撮ろうとする明治が交錯する。何が起こっているんだ?と思っていると、胃潰瘍を患った高橋源一郎本人が小説内に登場する(胃カメラの写真付き!)。そして高橋源一郎が通された病室には、同じく胃潰瘍夏目漱石がいて「よろしく」と声をかけてくる…。

 

 『「吾輩は猫である」殺人事件』を読んだときにも思ったが、ベースがしっかりあってその上で大暴れする小説は面白い。『日本文学盛衰史』も、近代日本文学黎明期の数々のドラマをベースにして高橋源一郎が暴れ散らかしている。しかし、問題なのは風呂敷の畳み方で、『日本文学盛衰史』の後半は風呂敷を広げっぱなし(というか破って散らかしっぱなし)で、勢いも落ちてしまっているように感じた。しかし最終章では、この小説に出てきた作家たちが死亡したときの新聞記事をずらっと引用しており、やがては皆、闇に還っていくという形で終わらせていて、ちょっと痺れてしまった。オタクはこういう演出に弱い。

 

 その最終章冒頭で引用されているのが、詩人・辻征夫の「きみがむこうから……」である。辻征夫はライトバースと呼ばれる作風の詩人で、詩的な表現は多様せず、等身大の、まさに人に喋りかけるような言葉で詩を書き続けた。僕もすごく好きな詩人で、特にこの「きみがむこうから……」が一番好きな作品なので、最終章のページを開いたときには思わず「おおっ」と声に出してしまった。「きみがむこうから……」が収録されている『いまは吟遊詩人』という詩集は、他にもいい詩がたくさん入っているのでおすすめです。(現代詩文庫の『辻征夫詩集』に全編収録されている)

 そして、この記事を書く際に調べて知ったことなのだが、辻征夫は2000年、つまり高橋源一郎が『日本文学盛衰史』を書いていた頃に亡くなっている。

 

 ……ここまで書いて、ぼくはタバコに火をつける。

 人類が誕生してからいままでにいったい何人の人間が死んだのか。問題は、誰も返ってこなかったことなのだが。残されるのは言葉ばかりで、だから、ぼくたちはおおいに死者を誤解する。だが、やがてはぼくもまた誤解される側にまわるだろう。

 

 2017年に高橋源一郎を勧めてくれた先輩は、その2年後に大学を出て北海道へ移り住むことになった。北海道と京都なので、ほとんど会って話せていないのだが、今でもたまに電話で話をすることがある。仕事の関係上、なかなか北海道からは抜け出せないらしい。僕自身は、来年からはどこで暮らすことになるのか、いまだに不透明なままだ。このまま、先輩と会う機会や電話する機会もどんどん減っていって、いずれはお互いのことを忘れて、死んでいくのかもしれないな。と、ふと考える。そんなものか 出会いなんて!