うろん紀行

 休みの日なのにうまく寝付けず、寝ているのか起きているのかよくわからない状態のまま六時間ほど過ごし、朝を迎えた。明確に起き上がり、掃除洗濯を済ませるとなんだか満足感が得られて、今日一日がいい日になる気もしたのだが、それは一時的なもので、すぐに今の自分が何も持ち合わせていないことに嫌気が差してしまった。持ち合わせるとは何をか、それが分かれば苦労しないのだが、とりあえず今日はもう音楽も聴きたくないし、本も読みたくないので早めの昼寝を決めることにした。

 

 夜うまく寝付けない人間が、昼の明かりの中でうまく寝付けるかというと、そんな訳もなく、気持ちの悪い微睡を重ね塗りしただけで、お昼ご飯の時間になってしまった。腹が空いているわけでもないが、冷蔵庫の中には特に食べ物もないのでコンビニへ行ってみる。思っていたよりもテンションは上がらず、これならスーパーへ行って食材を買った方が良かろうと思い、コンビニを出る。

 

 僕は歩くのが遅い。足が短いからでもあるが、普通の人よりも歩くテンポが遅い。これは出社の際など、同じ方向へ向かう人々にどんどん抜かされることから気づいた事実だ。コンビニからスーパーへ向かっている時にも色んな人に抜かされた。その中に、会社の先輩もいた。僕が気づいたのだから、向こうも気づいたかもしれないが、何の挨拶もなく先輩はぐんぐんと僕と距離を離していった。気分のメモリが一つ下がった。

 

 結局、スーパーで食材を見ても何も思いつかず、惣菜や弁当を見てもテンションは上がりきらなかった。十月になったというのに夏の入りみたいな暑さでただ純粋にイライラする。少し遠回りしてもう一軒のコンビニに入り、諦めて台湾まぜそばを買った。何を諦めたのかはうまく言語化できない。無愛想な店員に接客されたことで狼狽え、ポイントをつけてもらい損ねた。帰り道の小川沿いに彼岸花が枯れていた。五、六本の群れがポツポツとあるだけの短い道筋だった。しょうもない土地だと思ったが、どう考えてもしょうもないのは僕も同じだった。家に帰ってレンジにまぜそばを入れようとした時、お手拭きが二個入っていたことに気づき、また気分のメモリが一つ下がった。お手拭きが入っていないよりも、二個入れられていることの方が傷つくかもしれない、と思いながらレンジの前で待った。まぜそばは旨くも不味くもなかったが、腹を満たしたことで気分は少し持ち直せた。

 

 なぜこんな文章を書いているのか、それはこれがある種の救いだから。自分で自分を救う行為。この二つ目の自分という言葉は、過去も未来も内包している。このブログはもう数年ほど続いているが、最近は滅多に更新もできなくなったため、見てくれる人はほとんどいない。それでもたまに、僕はここに書かれている言葉を読み直すことで救われることがある。読むということ、書くということ、それは自分の救いになり得る。このことを『うろん紀行』を書いたわかしょ文庫さんも分かっているようだった。

 

 『うろん紀行』は、『タイムスリップ・コンビナート』(笙野頼子)や、『富嶽百景』(太宰治)、『万延元年のフットボール』(大江健三郎)などの本を読み、その本に縁があったりなかったりする場所に行き、そこで見たもの感じたことを書いている。そこで挙げられている本たちが主題ではなく、その本たちをきっかけにわかしょ文庫さんの言葉が、思いが綴られる。又吉直樹の『第2図書係補佐』も同じような本だったが、感動できる文章が同じようにそこにあった。こういう文章が書きたくて、僕は細々と、本当に細々とだが、このブログを続けている。

 

 この本では土地(あるいは場所)が大きな意味合いを持つ。僕は九ヶ月ほど暮らしてきたこの土地に、自分の思いを見出せないでいる。暮らすには十分極まりないが、それ以上がない。今読んでいる穂村弘の本にも、「生き延びる」と「生きる」は違う、という言葉があるが、まさしくこの土地は「生き延びる」ための土地で、「生きる」要素を見出せない。でもそれは僕自身が悪いのだと思う。会社の同期はこの土地での楽しみを見出しており、生き生きとしている。僕はそちら側に行けず、かといって思い切れるわけでもなく、東京や京都に幻想を投影し続けている。惨めな思いは日々募る。答えを出さなくてはならないと、焦り及び不安で澱み濁る心を、少しでも救うためにこの文章はある。

 

 この街でなければならない理由はなかった。わたしはこの街に住もうと思って住んだのではなかった。この街だって、わたしが住もうが住まなかろうがどうだっていいだろう。他の人だってみんな同じだ。誰でもよかった人たちがこの街で生きている。誰ひとりとして運命のもとに生きているわけではない気がする。でもそれでいいのだ。

わたしはあらゆる間違いや誤謬を引き受け、年を取っていく。無数に思えた未来を、たったひとつの過去にして。