うたかたの日々

 物語の基本的な構造はグラフに表すことができる、と述べたのはSF作家のカートヴォネガットである。彼は縦軸を幸福度(上に行くほど幸福、下に行くほど不幸)とし、時間の流れを横軸に取り、物語の起伏をグラフに表そうと考えた。講演の際、彼は3つの形を例として描写しているが、2016年のデータマイニングを用いた研究で物語というのはおおよそ6つの形に大別されることが分かった、という報告などがある。このあたりの話は「ヴォネガット ストーリーシェイプ」などで検索すると出てくるので気になった人は検索していただきたい。

 

 今回の記事の題材である「うたかたの日々」は、ストーリシェイプの観点から述べると上昇から下降をみせるジェットコースターのような物語だ。

 

 

 「うたかたの日々」はフランスの作家ボリス・ヴィアンによる作品で、おそらく彼の作品の中では一番有名だと思う。「日々の泡」という邦題もある。訳・出版の組み合わせは以下の通り。

 

「日々の泡」曽根元吉訳 新潮文庫(1998)

「うたかたの日々」伊東守男訳 ハヤカワepi文庫(2002)

「うたかたの日々」野崎歓訳 光文社古典新訳文庫(2011)

 

 どれで読むべきかかなり迷ったが、京都のレティシア書房という古本屋にお邪魔したときたまたまハヤカワepi文庫版のものがあったのでそれで読むことにした。レティシア書房さんは村上春樹近辺の海外文学が充実しているとてもいい古本屋さんです。

 

 

 さて、上にも述べたように物語としてはまず上昇がある。主人公である青年コランと美しく繊細な少女クロエが恋に落ち、華やかな結婚式を挙げる。そして下降。クロエが奇病に憑りつかれ、コランはその治療に奔走するもクロエは死んでしまう。

 

 これだけを書くとなんだかどこかで聞いたことあるようなありきたりな悲劇話、という感じだが、「うたかたの日々」の良さはその世界観にある。冒頭から少し引用する。

 

<キッチンの廊下は両方にガラスがはまっていて開かなかった。両側に太陽が輝いていた。なぜって、コランは明るいのが大好きだったからだ。よく磨いた真鍮の蛇口がやたらにあった。太陽が真鍮の蛇口にあたって御伽噺のような効果をよんでいた。キッチンのハツカネズミは太陽の光線が蛇口にあたる音で踊っており、光線が床の上に霧のように飛び散って黄色い水銀のように小さな玉になるのを追いかけ回していた。>

 

 このようにどこか不思議な世界観を当たり前だと言わんばかりに淡々と描写していく。奏でる音によってブレンドが変わるピアノカクテルがコランの家にあったり、シナモンシュガーの香りのする雲に囲まれてクロエとデートをしたりする。そんなSFチックな、というより「すこし不思議」なガジェットの中で物語はダンスを踊るかの如く軽快に進む。

 

 ジェットコースターのような、と書いてしまったが、その下降は非常にゆっくりとした速度で進む。クロエは新婚旅行の際に、肺の中で睡蓮が成長する奇病を患ってしまう。その病を治療するためにはいつも大量の花でクロエを囲っておく必要があり、その花代を工面するためにコランは仕事を始めるが、どの仕事にもなじめず、転々とし、どんどん困窮していく。この零落の様子が何とも言えず心に重くのしかかる。読み終えたその日は気分がふさがってしまって何もできなかった。

 

 

 コランとクロエのほかにも2組のカップルが登場する。コランの親友であるシックとその恋人アリーズ、そしてコランの料理人であるニコラとその恋人イジス。これは個人的な意見だし文学的な裏付けがあるわけでもないが、この3組のペアは幻想的な出来事や摩訶不思議なガジェットの中にありながらも、周りとの輪郭がはっきりしていたような気がする。極端に言ってしまうと、外側の世界は全て狂っていてこの6人だけが正常であるといった感覚があった。(後半では外側の狂気が彼らの中にも進出し、破滅に至るのだが。)このズレの感覚が妙にリアルに感じられた。非現実的な文章から得られるリアルはよりその色が濃い。

 

 

 

 「一流の悲劇よりも三流の喜劇を」という言葉に普段から強く同意している僕だが、たまには一流の悲劇もいいもんだなと思った。