山月記・李陵

 ひどい天気が続いている。研究室にいくだけでびしょ濡れになり、乾く頃にはもう帰る時間で、またびしょ濡れになりながらとぼとぼ歩く。家に着いて、テレビをつけると氾濫した河川の映像が流れていて、何県のどこそこでは何人亡くなったというテロップが常に表示されている。ひどい天気だ。

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藤富保男詩集

「でたらめなんて、かんたんだよ」

きみは、いった。

「じゃあ、しゃべってみて」

「きゅうにいわれても」

きみは、くちを、とがらした。「ちゃんと考えたらできるけど」

「ほら」

ぼくは、いった。「でたらめって、ちゃんと考えなきゃできないんだ」

 

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ゴドーを待ちながら

 自宅待機の要請が大学から出た。七畳半の部屋で一日の大半を過ごしている。時間は膨大にあるように思えるが、その時間を活かし切る余裕が今の僕にはない。でもせっかくなんだから、と思って無理やり本を開く。この時期は何を読んでも今の現実に重ね合わせてしまう。陳腐な思考に拍車がかかる。こんなことをしているからいつまでたっても何者にもなれないのだと思う。分かってはいるがこれで精一杯だ。本当か?もうやめよう。

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告白

 生まれも育ちも和歌山で、大学生になってその地を離れたが新しい家も京都で、関西から外で暮らしたことがないのである。だから普段はバリバリの関西弁かというと全然そんなことはない。関西弁と標準語が入り混じったような気色の悪い言葉が口から出る。たまに地元の友達と会うと「喋り方変やで」と指摘され、いかん、故郷の言葉を忘れてしもうとる、となるばかり。何故言葉が混ざったか?恐らくは、大学入りたての頃に仲良くしていた人たちが東の方の人間であったこと、それと自分の和歌山訛りを指摘されることが恥ずかしく、言葉遣いを意識していたことが原因だろう。日に日に関西弁の濃度は薄くなり、独自の気色悪い言語体系が組みあがってしまっていて、ある程度完成したと思っていたのだが、文庫本にして800ページ、京極夏彦かいなと言わんばかりの極厚本である町田康著『告白』が、錆びつき始めていた関西弁の回路に火をつけた。

 

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インド夜想曲

 情勢は悪くなる一方だが、新年度を迎えたために研究室にはいかねばならず、暗澹たる思いでデスクについた。けれども同期や先輩、または今日から配属された四回生たちと喋っていると日々の憂鬱が紛れて心はかなり軽くなった。これからはこのバランスをうまくとるべきだと感じる。引きこもっていると本当に心の芯が腐っていく、この二週間ほどで強く実感した。

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