つるつるの壺

 最近、昼間に特に大したことをしているわけでもないのに、家に帰ってご飯を食べてシャワーを浴びるともう、ぐでんぐでんに疲れ切って何にもやる気が起こらなくなってしまう。あの本読まなきゃなとか、あのアルバム聴いときたいなとか、そういえばアマプラにあの映画来てたなとか、なんとか、かんとか、思うのだけれども身体と脳はぐでんぐでん。全く何にもできない。なので仕方なく12時にもならないうちに布団の中に潜りこむ。明日は早くに起きて、なんやかんやをして充実させるぞ、と意気込み、こんこんと眠る。こんこんと眠りすぎて気付いたら朝の9時、おわっ、寝過ぎた、急いで研究室へ向かう。

 

 さて、研究室についたはいいものの、実験操作は一瞬で終わってしまうし、データが出るのもしばらく先で何にもやることがない。論文を眺めるがつるつると目が滑る。こんなん、研究室におってもしゃーないわ、てなわけで文庫本片手に図書館へと逃げ込む。工学部の人間しかいないキャンパスの図書館なので、椅子に座っている人は大体小難しそうな本を読んでいるか、パソコンで小難しそうな画面を見つめている。その中でこそこそと町田康の『つるつるの壺』を読んだ。

 

 町田康の作品はこれまでに『パンク侍、斬られて候』『告白』の二作を読んだことがあるのだけれど、どちらも町田康節炸裂!という感じの時代小説(?)で非常に面白く、ページをめくる手が止まらん!となったのであったが、『つるつるの壺』はエッセイ集ということで、エッセイというのは随筆ということで、つまりストーリーなどキャラなどがある小説とは違って、作者は作者の思ったことをつらつらと書ける、つまり町田康節炸裂どころの騒ぎではない、どんな騒ぎかというと、まぁ今こんな風にぺらぺらと書き連ねているみたいにやたらと一文が長かったり、変なところで文章が区切られていたり、するのだけれど、しかしそれでいてリズミカルで読みやすく、内容としては、オリンピックの報道が鬱陶しいだの、スーパーのレジの人に「なんだこいつカレー食うのか、はは」と思われることが恥ずかしいだの、思わず、くほほ、と笑ってしまいそうになることばかりで、つまり大変面白かったということです。

 

 妄想に近いたわごと。または言葉になりかける寸前で瞬時にぐずぐずになってしまう想い。などをリズムのなかでビートの中で喚き散らす、ということを十五年の長きに亘ってやり続けたというのは我が事ながら因果すぎて涙がこぼれるが、とうとう因果窮まって小説を書こうと思ってしまったとき、じゃあ私はいったいどうやって書いたらいいのだろう。まるで分からんじゃないか。となり、これまでうかうかと読んでしまった名人・上手の偉業に圧倒されて二進も三進もいかなくなって、ワードプロセッサーの中でのたうち回る私の思念が私の現実を侵食する。やめてくれないか。そういうことは。

 

 ちょっとサブカルに足入れた人は知っていることだと思うけれども、町田康は元々「INU」というパンクバンドのボーカル、町田町蔵としてデビューして、『メシ喰うな!』というアルバムを出し、その後すぐさま解散し、なんやらかんやらとバンドを組んだり解散したりを繰り返し、パンク歌手として長いことやっていた人である(というか今も『汝、我が民に非ズ』というバンドで活躍していらっしゃる)。

 ここで、パンクというのは、という解説を入れられるほど僕はパンクに詳しくないのだが、『メシ喰うな!』やらザ・スターリンの『虫』などを聴いていると、これらのパンクの人々は、理屈をこねくり回して別に君を求めてないけど何たらかんたらの香水のせいだよ〜みたいな歌詞を書いているのではなく、インスピレーションというやつを用いていて、そうはもうめちゃくちゃで、お前の頭を開いてちょっと気楽になって楽しめなどと謎の命令を何度も何度もリフレインしているので、それを聴きながらこれを書いている僕は何がなんやら分からんくなってきとるわけです。この話をどこに着地させたかったのか見失ってしまったのだが、何が言いたいかっていうと、パンク歌手としてカリスマ的才能がある町田康だからこそ文章のリズム感も抜群なのであり、しょーもない僕がその真似事したってただただ読みにくいだけということですね。はい。すいません。

 

 このエッセイ集は週刊新潮やら朝日新聞やら文庫本の解説やらありとあらゆる場所に書かれたエッセイの集合体なので、テーマというものは基本的に一貫しておらず、エッセイごとに話があっちに行ったりこっちに来たりする。最近集中力を致命的なまでに失ってしまい短編集でもヒィヒィ言わないと読みきれない僕なので、このエッセイの散らかり具合は逆にありがたく、頭を空っぽにしながら楽しむことができた。

 

 また、内容もすこぶるいいのだが、中島らもによる解説もまた素晴らしい。中島らもといえば『バンド・オブ・ザ・ナイト』という作品をこの前読んだのだけれども、こちらは逆に町田康が解説を書いていた。パンクかつ物書きの二人が解説を書き合うっていうのが良いですね。

 おれは町田康の作品はほとんど全部読んでいる。小説、エッセイ、歌集まで。

 一言で言えば、全部E7だ。町田は他のAmみたいな変なコードは一切使わない。だから好きなのだ。

 この作品をコードに例えるというのが如何にも中島らもという感じだ。解説では町田康の作品を手放しで褒めちぎっている。しかしアル中でラリ中の中島らもは、町田康の『告白』が世に出る一年前に階段から落ちてこの世を去ってしまった。さっき二人のwikipediaを見比べて、この事実に気付いた。神様は意地悪なことをするものだ。

 

 

 相変わらず今日もぐでんぐでんに疲れ切って、もうやる気でね〜という気分だったのだが、町田康の良さは伝えねばならん、という想いで、缶のコーラをグイッと飲み、回転が止まりそうな脳を蹴飛ばし、途中自分が何書いてんのか分からん状態になりながらも、なんとか書ききった。この阿呆みたいな文でちょっとでも町田康読んでみたいなと思っていただけたら本当の本当に嬉しいです。本当の本当におすすめです。